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Papyrus

考えたことや調べたことを残しておこうと思います。

Neuromuscular Changes (前半)

今日はChemistry (なぜか今さら履修せねばならない...) とExercise Physiologyの試験がありました。先週はClinical Kinesiologyの試験もありました。セメスターを4つに分けると、最初の4分の1が終わるのがこの時期。試験も多い訳だなぁと思います。

 

さて、私の最近の関心事は専ら受傷後のNeuromuscular系の変化です。Neuromuscularとはこの単語の構造からも予想ができるかもしれませんが、Neuro (神経)とmuscular (筋肉)のことです。

 

「身体を動かす」というと一番に思い浮かべるのは筋だと思いますが、筋が働くよう命令を出しているのが脳、そしてその命令を伝えているのが神経。つまり神経と筋の間でコミュニケーションが行われることで私たちは身体の動きをコントロールできているのです。

 

話は変わりますが、何らか怪我をしたあと、予期せぬ症状に悩まされた経験を持つ人はいませんか?

 

例えば、膝の"靭帯"を損傷したのに、膝の上の"筋"のボリュームが減ってきた。はたまた力を入れる感覚さえよく分からなくなった。などなど。

 

損傷した構造と別の組織が機能低下を起こすことは少なくありません。私たちの身体は様々な"変化"に適応する能力を持っており、「怪我」、つまり体内での非常事態に際し、様々な適応がなされます。そして時としてその適応が思わしくない結果をもたらすことがあります。それが私の関心事であり、上で例を挙げたような状況です。

 

受傷後の機能低下、これはアスレティックトレーナーとしてリハビリをする際、避けては通れない問題です。受傷後、可能な限り機能を落とさないこと、それから制限されてしまった機能を出来る限り回復させて、プレーに戻すのは私たちが最善を尽くすべき大きな役割です。

 

受傷後の組織にどのような反応が起こり、それに対してどのような適応がなされるのか。そして好ましくない適応を防ぐには、(起きてしまった場合) 解除するにはどのような方法が有効なのか。これらを知ることでアスレティックトレーナーは効果的にリハビリを進めることができるのではないかと思います。また、そうすることが再受傷を防ぐ上で重要になることも間違いないでしょう。

 

次の記事ではChronic Ankle Instabilityを例にとって考察してみようと思います。

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動き出そう

初めましての方もそうでない方もこんにちは。

Indiana State UniversityでAthletic Trainingを専攻しているSuzuki Miwakoと言います。

 

私は少し複雑な道を歩んでここまで来たので、そのことをまず説明させていただきたいと思います。

 

日本の大学を一度卒業し、アメリカの大学院を志して留学を決めたものの、ホームシックと英語の壁にぶち当たり、ゆっくり丁寧にもう一度学び直そうと思い直しISUのundergraduateに入学して今に至ります(現在3セメスター目)。

 

入学を決めてから、「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせるも、2年でたどり着く予定だったATCへの道が3年半に遠のいたこと、またそれに伴う金銭的な負担を考えると頭がおかしくなりそうな日々を送っていました。

 

ところが、ISUでひとつ目のセメスターを終えようとしているとき、私の計画をポジティブな方向に大きく変えるアドバイスを私のアカデミックアドバイザーからいただきました。

 

"ISUでのAthletic Training Programは、近年のAT programのMaterへの移行のトレンドに伴って、現在のProfessional level (Bachelor)のAT ProgramはMasterへ、現在のPost-ProfessionalのAT Program (Master)はDoctor in Athletic Trainingへ変更される。あなた(私)は日本の大学のBachelorのDegreeを持っているので来年から始めるEntry-Materのプログラムに入ることができる。"

 

ということで、私は2016年夏から始めるMasterのプログラムに入る準備をすることになったのです。

 

1年半準備に当てなければならなかったので卒業時期、それからかかる費用はあまりかわりませんが、卒業段階でATCと修士の学位が取れるということで、今後の展望が一気に明るくなったと思いました。

 

というのも現在アメリカで働くATCの約7割は修士を持っている状況であり、どの方向へ進むしにろ修士が必要だということは明確だと思っていたからです。

 

さて、この1年間(Masterのプログラムに再チャレンジすると決めてからの2セメスター)に私は何をやっていたかというと、Masterのプログラムに入るのに必要なPrerequisiteのコースをISUのUndergraduateで受講していました (正確には、しています、現在も)。

 

解剖学、生理学、心理学、栄養学、運動生理学などなど。

一度日本の大学で履修したものではありましたが、英語でこれらを復習できたことはとても有意義だったと感じています。

 

今日が2月4日、そしてISUのEntry-MasterのAT Programの出願締め切りが2月15日。実は私はまだ入学できるか、正式には決まっていない状況なんです。

 

プログラムディレクターには心配する必要ないと言ってもらえましたが、まだ決定な訳ではない...とはらはらする思いで連絡を待っています。

 

3月に入る前には、今後2年間の私の進路を決定することができるんじゃないかと思っています。もし、入学できなければ私は日本に帰りますので、そのときは温かく受け入れてください (笑)。

 

と、私が歩んできた道はこんな感じです。

 

なぜ私が2014年に開設した (といっても内容が酷すぎてほとんど消しました...) このブログを再開しようと思ったかというと、学びを整理する場が欲しいと思うようになったからです。

 

英語の論文も読むのが苦ではなくなってきて (むしろとても好きな活動のひとつ)、Athletic Trainingに関するトピックについて、自分なりの答えをひとつひとつ見つけていこうという気持ちになりました。

 

これまで読み漁るのはいいもののアウトプットすることもなく頭の中で処理していたので、何が分かっていて何を理解しきれていないのか整理しきれていないことを感じていました。ブログにまとめることで情報を整理できたらと思います。

 

また、この活動はプロになる準備であるとも思っています。今まで日本の大学時代から、同期や先輩、後輩に劣等感が強く、表立って自分の考えを発することをずっと避けてきました。

 

自分の考えを公にさらすことで、その発言に責任を持ち、自分の考えがさらに磨かれていけばいいなと思っています。

 

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やりたいことはなんだろう

自分のやりたいことが見えなくなってきているので、少し考えを整理するためにブログを書いてみようと思います。

 

日本の大学生時代、3年生の終わりあたりから周りのみんなが就活でばたばたし始めたのを横目に、私は「しゅうかつ」の「し」の字も考えずに進学することを考えていました。アメリカでアスレティックトレーニングの教育を受けるんだ、と。

 

この覚悟は固く、私は12月の初旬に自分が4年間所属した女子バレーボール部を引退したあと、1月から男子バレーボール部で活動再開しちゃったんです。4年間女子バレー部で休みなし(相当な量の仕事があったのでオフの日でもだいたいの時間を部活のために捧げてた)でやってきて相当な苦労をしたはずなのに、こんなわずかな休養期間でまた体育館に行く毎日を選んだ過去の自分に対しては尊敬さえします。

 

卒論の提出が確か12月19日だったから本当にがっつり休んだのは1週間?2週間?そんなもんでした。卒業旅行にも行かなかったなぁ。体育館にいるのが旅行よりも好きだったなんていうと頭おかしいと思われるかもしれないけれども、そのくらい好きだったんです。

 

「この気持ち忘れてたなぁ」と、今書いていて思いました。そういえばそう、私はスポーツ現場が大好きでした。

 

女子バレー部ではカナダでPTの資格を取った素晴らしいボスがいらっしゃいましたが、現場に来ていただけるのは週に1回で、ほとんどの時間を自分ひとりで見ていました。男子バレー部でも日体教のATを持っている方が私の上の立場にいらっしゃいましたが、その方もだいたい週に1回。体育館が大好きでそこから離れる気は全くなかったけれど、無資格の学生AT2年目の私が多くの時間をひとりでカバーすることはいつも恐怖でした。

 

今、本当に強く思うけれど、私がそばにいる間、誰も命を落とさなくてよかった。

 

学生トレーナーの多くは怪我の評価やリコンディショニングの勉強にたくさんの時間を使っているように思いますし、私もそうでした。それがathletic trainerのアイデンティティだと思っていたからです。けれど、それって他の人、例えば現場にいない人にも任せられるなと思ったんです。私が毎日現場にいて、絶対にしなくちゃいけないことは選手の命を守ることでした。

 

でも当時の私が、生きるか死ぬか一刻を争う現場に居合わせたとき、適切なことが出来るとは全く思いませんし、私もその自覚があったから毎日体育館にいられる幸せを噛みしめながらも恐怖を抱いていたんです。本当に誰も死ななくてよかった。

 

私のモチベーションは「現場への愛着」、「そこでの恐怖感」、「現場で使いものにならない私」、これらから来るものだったかもしれません。

 

 

アメリカに来てから、普段の生活の中で大きな政治的・社会的な問題を肌で感じ、語学学校では世界中の文化の違いを感じて、私は「スポーツ」を通して「社会」にどんな「貢献」ができるんだろうと考えを巡らせていました。

 

大学時代、スポーツそのものが人生(少なくともこれまでは)というような人が周りにたくさんいました。私もそのうちのひとりです。

 

けれど、ここはそういう場所ではありませんでした。スポーツの及ぶ範囲の小ささを感じたりして、「私なんでスポーツやりたいんだろう」って思ったりしました。いや、そんなもんじゃなくて、「スポーツでいいのかな」っていうような感情です。

 

旅行も含めて海外経験ゼロの私をここまで駆り立てた強い意志ですら、生活が揺らぐと簡単に揺らいでしまったことにはびっくりでした。これも良い経験です。

 

 

 

私が今後の人生で世の中に大きな影響力を持つような人間になったら、もしかしたら「私の分野にはいない誰か」のために「何か」できるかもしれませんが、当面の間はそんな大きな問題には目を閉じて耳を塞いで、自分が確実に人に与えられるものを増やすことに従事しようかなと思います。

 

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