PAPYRUS

アメリカの大学院でアスレティックトレーニングを学んでいます。考えたことや調べたことを残しておく目的でブログを書いています。

今更だけど羽生くんの一件を考えてみる。

今更ですが、2014年にあったフィギュアスケートの羽生くんの試合直前公式練習での衝突事故、それから棄権せずに試合に臨んだ一件について考えてみようと思います。 

 

日本では大きなニュースになったと思うので何があったかを知らない人はあまりいないと思いますが、試合直前の衝突の映像を見つけたので貼ります。正直私は手術の映像は全然平気ですが、意識のある人が痛がってる映像は結構苦手です。この映像もとても痛々しいです。苦手な方は見ないことをお勧めします。

 

    

 

さて、このとき羽生くんは脳震盪を起こしていたと言われています。今回は脳震盪がどういうものなのかを脳震盪のコンセンサス・ステイトメント (The 4th International Conference on Concussion in Sport)1 やNATAのポジション・ステイトメント2、それからいくつかのレビュー記事をまとめながら勉強してみようと思います。

 

脳震盪のコンセンサス・ステイトメント1では脳震盪は以下のように定義されています。

 脳震盪は脳の傷害で、生体力学的な力によって引き起こされ、脳に影響を及ぼす複雑な病理生理学的なプロセスと定義される。

Concussion is a brain injury and is defined as a complex pathophysiological process affecting the brain, induced by biomechanical forces.

 

 

また以下の4点も脳震盪を定義する上で知る必要があります。

1. 脳震盪は頭部への直接的な衝撃だけでなく顔や首、その他の部位においても頭部へ衝撃が伝わる場合には起こりうる。

Concussion may be caused by a direct blow to the head, face, neck, or elsewhere on the body with an ‘‘ impulsive’’ force transmitted to the head.

 

2. 脳震盪の神経性の症状はたいてい一時的で自然に解消されるが、数分または数時間のうちに症状や徴候が強くなる場合もある。 

Concussion typically results in the rapid onset of shortlived impairment of neurologic function that resolves spontaneously. However, in some cases, symptoms and signs may evolve over a number of minutes to hours.

 

3. 脳震盪は神経病理的な変化が起こるときもあるが、急性の臨床的な症状は脳の構造上のダメージが理由というよりは、機能上の問題に起因していて、そのような場合にはCTやMRIなどの画像には異常が見られない。

Concussion may result in neuropathologic changes, but the acute clinical symptoms largely reflect a functional disturbance rather than a structural injury, and as such, no abnormality is seen on standard structural neuroimaging studies.  

 

4. 脳震盪は段階的な臨床症状を引き起こすが、必ずしも意識をなくすとは限らない。一般的には臨床症状と認知能力の低下は徐々に解消・回復されるが、症状が長引く場合もあることを知っておかなければならない。

Concussion results in a graded set of clinical symptoms that may or may not involve loss of consciousness. Resolution of the clinical and cognitive symptoms typically follows a sequential course. However, it is important to note that in some cases symptoms may be prolonged.

 

下の表は脳震盪の症状や兆候をまとめたものです。3

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上の表の中には「混乱 (confusion) 」「方向感覚の喪失 (disorientation) 」「集中不可能 (inability to focus) 」という症状が含まれていますが、実際にはどういうことなのか体験談を探してみました。

     

いくつか特徴的な発言をあげると明らかに認知の機能に支障があったことがわかります。

アニメでよくあるように星が見えた

話しかけてくる (一人の) 相手が2カ所にいるような感じがして、この2つをくっつけるように集中しなければいけなかった

話しかけられても聴こえてはいるけど聞いてはいなかった

自分をリモートコントロールしているような感覚だった

   

このビデオではは大きな衝撃のあと明らかにフラフラしている選手の姿がいくつか映されています。

            

 

さて、脳震盪が起きた後の対応についてですが、どの文献においても、どの競技の協会のガイドラインにおいても受傷したその日に競技に復帰することはあってはならないと述べられています。脳震盪を起こした選手を練習や試合から外さずに、1回目の脳震盪の症状が回復されないうちに2回目のインパクトがあると、セカンドインパクトシンドロームというまさに命に関わる状況へ発展してしまう恐れがあります。そのため、アスリートの命を守るためにも受傷が疑われる状態には敏感に反応して、受傷した選手を練習から外さなくてはなりません。

 

上に貼ったビデオはとてもわかりやすい例ですが、ここまで明らかでないことも往々にしてあります。私自身の経験でも日本の大学学部時代、バレーボールの練習中に予期せず一人の選手の頭にスパイクが当たって、少しの間動けず頭痛や気持ち悪さを訴えたことがありました。怖いのはコーチや他の選手からはプレー続行可能に見えることです。また、受傷した選手自身がそこまで重く捉えていない場合もあるし、周りからの「プレーできるだろ」という視線を感じてプレーに戻ろうとする場合もあります。

 

結局、私はそれが起きた日にその選手をその日の練習から外すことはできませんでした。 また、その日、他の選手から、ボールが顔にあたったくらいで練習から抜けさせようとするのは私がその選手を甘やかしてるんじゃないかという指摘も受けました。前もってチーム全体に脳震盪というものを説明をしておらず脳震盪が起きたときに私が取るべき態度を示していなかったこと、またそれによってチームの中で不満が色々な方向へ生まれてしまったことを反省しました。

 

 

NATAのポジション・ステイトメントには教育 (education) と予防 (prevention) という項目が設けられ、アスレティックトレーナーはコーチや保護者が脳震盪に関して適切な知識を身につけられるように働きかけるべきであるということが述べられています。2

 

いざというときに選手を守れる状況を前もって整えておくことが重要だと思います。 何事にも言えることだと思いますが、非常事態が発生したとき人はそれぞれの立場の意見を主張し合って収集がつかなくなることが多い気がします。あらかじめチームのメンバーからも理解されたガイドラインを持つということは非常時の混乱を避ける上でも重要かと思います。

 

さて、上でセカンドインパクトシンドロームについて少しだけ触れましたが、ここで少しだけ説明を加えたいと思います。セカンドインパクトシンドロームとは一度脳震盪を起こした後、その症状から回復する前に再び脳へ衝撃が加わることで、脳が急激に浮腫を起こし、致死率の非常に高い危険な状態になることです。命が助かったとしても、重篤な後遺症が残ると言われています。

 

セカンドインパクトシンドロームで後遺症を煩った人の声を聞き、それを教訓としてスポーツに関わる全ての人に脳震盪の怖さを学んで欲しいなと思います。

              

プレストンはフットボールの練習中に脳震盪を受傷しました。そしてその脳震盪の症状が消える前に練習に戻り、試合に出場し、2度目のインパクトを受けました。2度目のインパクトによる症状は急激に、劇的に悪化し、一命は取り留めたものの、深刻な後遺症を残すことになりました。

I could have sat out for a season. But now I will sit out for the rest of my life.

(もうひとシーズン、フットボールから離れることもできた。でも今は自分の残りの人生から離れることになった。)

Just waking up everyday and knowing I can't do all the things that I want to do.

(( 何が一番辛いかという問いに)毎朝起きること、それから自分がしたいことが何もできないことを知っていること。)

 

     

話を羽生くんに戻します。演技中、明らかにいつもよりも転倒する回数が多かったように思います。転倒した時、頭をもう一度打っていたらどうなっていたでしょう。その当時に周りにいたメディカルスタッフは二度と繰り返してはいけない判断をしたのではないでしょうか。

 

              

 

これはスポーツ界全体、それから自分自身への戒めのようにも感じます。正直、衝突があってからの最初の対応にもかなり疑問を覚えます。何もチェックせずいきなり起こそうとしたり、スケートリンクというただでさえ不安定なsurfaceで(実際起こしに来た人、つるっと滑ってる...)もっと安全性を考えた搬出の仕方はなかったのだろうかとか...。ただ、こういう状況はその場にいる人にしかその場の緊張感はわからない。自分への戒めとは、こういう状況でも冷静に判断してより良い行動ができるように普段から心掛けなければ、ということです。

 

もう大分時間が経ってしまい、関心も少し薄れてしまったかもしれないけれど、この一件が日本でもっともっと脳震盪の対応を考える教材として使われてほしいと思います。

 

参考文献

1. McCrory P, Meeuwisse W, Aubry M, et al. Consensus Statement on Concussion in Sport—the 4th International Conference on Concussion in Sport Held in Zurich, November 2012. Clin J Sport Med. 2013;23(2):89-117.

2. Guskiewicz KM, Bruce SL, Cantu RC, et al. National Athletic Trainers' Association position statement: Management of sport-related concussion. J Athl Train. 2004;39(3):280-297.

3. Herring SA, Cantu RC, Guskiewicz KM, et al. Concussion (Mild Traumatic Brain Injury) and the Team Physician: A Consensus Statement-2011 Update. Med Sci Sports Exerc. 2011;43(12):2412-2422.