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Papyrus

考えたことや調べたことを残しておこうと思います。

今更だけど羽生くんの一件を考えてみる。

Concussion

今更ですが、2014年にあったフィギュアスケートの羽生くんの試合直前公式練習での衝突事故、それから棄権せずに試合に臨んだ一件について考えてみようと思います。 

 

日本では大きなニュースになったと思うので何があったかを知らない人はあまりいないと思いますが、試合直前の衝突の映像を見つけたので貼ります。正直私は手術の映像は全然平気ですが、意識のある人が痛がってる映像は結構苦手です。この映像もとても痛々しいです。苦手な方は見ないことをお勧めします。

 

    

 

さて、このとき羽生くんは脳震盪を起こしていたと言われています。今回は脳震盪がどういうものなのかをThe 4th International Conference on Concussion in Sportでの consensus statementやNATAのposition statement、それからいくつかのreveiw articleをまとめながら勉強してみようと思います。

 

Consensus Statement on Concussion in Sport: The 4th International Conference on Concussion in Sport, Zurich, November 2012では脳震盪 (concussion) は以下のように定義されています。

 

Concussion is a brain injury and is defined as a complex pathophysiological process affecting the brain, induced by biomechanical forces.

* pathophysiology = 病理生理学

* biomechanical forces = 生体力学的な力 (日本語の方がわかりにくい!)

 

また以下の4点も脳震盪を定義する上で知る必要があります。カッコ内は訳ではないですが、大雑把にどんなことなのかを書いてみました。

1. Concussion may be caused by a direct blow to the head, face, neck, or elsewhere on the body with an ‘‘ impulsive’’ force transmitted to the head.

( 頭部への直接的な衝撃だけでなく顔や首、その他の部位においても頭部へ衝撃を伝え得る場合には脳震盪を起こす可能性があるということ)

 

2. Concussion typically results in the rapid onset of shortlived impairment of neurologic function that resolves spontaneously. However, in some cases, symptoms and signs may evolve over a number of minutes to hours.

(脳震盪はたいていの場合、神経性の症状や徴候は一時的で自然に解消されるけれど、数分または数時間で症状や徴候が強くなる可能性もあるということ) 

 

3. Concussion may result in neuropathologic changes, but the acute clinical symptoms largely reflect a functional disturbance rather than a structural injury, and as such, no abnormality is seen on standard structural neuroimaging studies. 

(脳震盪の症状は脳の構造上のダメージが理由というよりは、機能上の問題が大きな理由であるようで、CTやMRIなどの画像には異常が見られないということ)

 

4. Concussion results in a graded set of clinical symptoms that may or may not involve loss of consciousness. Resolution of the clinical and cognitive symptoms typically follows a sequential course. However, it is important to note that in some cases symptoms may be prolonged.

(脳震盪の症状に意識が無くなることは必ずしも含まれていないということと、臨床的な症状と認知能力の低下は徐々に解消・回復されるけれど、症状が長引くとこもあるということを知っておかなければならないということ)

 

脳震盪の症状や徴候はConcussion (mild traumatic brain injury) and the team physician: a consensus statement – 2011 updateでは以下のようにまとめれていました。

f:id:miwakosuzuki:20160509060950p:plain

 

また、先に脳震盪の定義を示すのに使ったConsensus Statement on Concussion in Sport: The 4th International Conference on Concussion in Sport, Zurich, November 2012では症状や徴候は以下の5項目にまとめられています。

(a) Symptoms: somatic (eg, headache), cognitive (eg, feeling like in a fog), and/or emotional symptoms (eg, lability);

(b) Physical signs (eg, loss of consciousness, amnesia);

(c) Behavioral changes (eg, irritability);

(d) Cognitive impairment (eg, slowed reaction times); and/or

(e) Sleep disturbance (eg, insomnia).

 

どの文献においても、どの競技の協会のガイドラインにおいても受傷したその日に競技に復帰することはあってはならないと述べられています。脳震盪を起こした選手を練習や試合から外さずに、そのvulnerableな脳へ2回目のインパクトがあると、セカンドインパクトシンドロームというまさに命に関わる状況へ発展してしまう恐れがあります。そのため、アスリートの命を守るためにも受傷が疑われる状態には敏感に反応して、受傷した選手を練習から外さなくてはなりません。

 

脳震盪が疑われる選手に対してサイドラインでテストされるのは、頭痛や吐き気などの主観的な症状とバランスと認知能力です。脳震盪にはいくつかサイドラインのテストのためのツールがあります。

 

日本語にも訳されて、日本で一番頻繁に目にするのがSCATだと思います。SCATは症状のチェックリスト、バランス能力、認知能力に加えて意識レベルを見るグラスコーコーマスケールや頚椎の可動域・四肢の感覚&筋力のテストも含まれています。スポーツ中に衝突があった際には脳震盪だけでなく頚椎の怪我や脳震盪以外の頭部外傷の可能性もありますが、SCATは最も包括的で、脳震盪をrule-inするという目的の他に頚椎損傷などの可能性をrule-outするためにも使うことができます・(SCAT3日本語訳: http://www.fujiwaraqol.com/concussion/scat3_ja.pdf

 

SACは認知機能のテスト、BESSはバランスのテストです。(SACとBESSはSCAT3の中にも含まれています。)ISUの脳震盪のサイドラインアセスメントのツールはグラスコー・コーマ・スケール、自覚症状のリスト、SAC、BESSを組み合わせたものでした。

 

脳震盪の評価を取りこぼしなく行うのに一番簡単な方法は、SCATを理解して、印刷したSCATをアスレティックトレーナーとして働いているときに身につけておくことだと私は思います。

 

サイドラインの評価、それから競技復帰までの過程での評価でとても重要になるのがベースラインのデータです。バランスや認知能力は個人差が大きく、受傷と非受傷、またはバランス・認知機能が回復したかどうかを分ける普遍的なボーダーラインが存在しないからです。先日始まったフットボールの実習ではpre-participation examの中でSACとBESSをテストしました。今後脳震盪が疑われた際にはこのテストの結果がベースラインとして、脳震盪の評価をするのに使われます。

 

 

実際に受傷するとどんな感じになるのかをもう少しよく理解するために動画を探してみました。このビデオは元アメフト選手の脳震盪の経験談です。彼の話から、認知の機能 (例えば「集中すること」) などに明らかに支障があったことがわかります。

               

いくつか特徴的な発言を挙げてみました。

- アニメでよくあるように星が見えた

- 話しかけてくる (一人の) 相手が2カ所にいるような感じがして、この2つをくっつけるように集中しなければいけなかった

- 誰かが話しかけてきても、聴こえてはいるけど聞いてはいなかった

- 自分をリモートコントロールしているような感覚だった

 

              

このビデオではは大きな衝撃のあと明らかにフラフラしている選手の姿がいくつか映されていますが、ここまで明らかでないことも往々にしてあります。私自身の経験でもバレーボールの練習中に予期せず一人の選手の頭にスパイクが当たって、少しの間動けず頭痛や気持ち悪さを訴えたことがありました。怖いのはコーチや他の選手からはプレー続行可能に見えることです。また、受傷した選手自身がそこまで重く捉えていない場合もあるし、周りからの「プレーできるだろ」という視線を感じてプレーに戻ろうとする場合もあります。

 

結局、私はそれが起きた日にその選手をその日の練習から外すことはできませんでした。 また、その日、他の選手から、ボールが顔にあたったくらいで練習から抜けさせようとするのは私がその選手を甘やかしてるんじゃないかという指摘も受けました。前もってチーム全体に脳震盪というものを説明をしておらず脳震盪が起きたときに私が取るべき態度を示していなかったこと、またそれによってチームの中で不満が色々な方向へ生まれてしまったことを反省しました。

 

National Athletic Trainers’ Association Position Statement: Management of Sport ConcussionにはEducation and Preventionという項目が設けられ、アスレティックトレーナーはコーチや保護者が脳震盪に関して適切な知識を身につけられるように働きかけるべきであるということが述べられています。

 

いざというときに選手を守れる状況を前もって整えておくことが重要だと思います。 何事にも言えることだと思いますが、非常事態が発生したとき人はそれぞれの立場の意見を主張し合って収集がつかなくなることが多い気がします。あらかじめチームのメンバーからも理解されたガイドラインを持つということは非常時の混乱を避ける上でも重要かと思います。

 

次に脳震盪のpathophysiologyをMarshall (2012) のSports-related concussion: A narrative review of the literatureで説明されていることを中心にまとめてみたいと思います。

 

脳震盪の原因は頭部の急な加速だと言われています。下の動画では、衝撃からの頭部の急な加速・減速の際に脳が頭蓋骨の中でどのように動いているのかが再現されています。

               

脳は無数のニューロンから構成されていますが、加速の際、ニューロンは引き伸ばされたり、剪断の力が加わります。衝撃の直後に少しの間意識が無くなることがありますが、それはこの牽引や剪断などの物理的な力によって脳幹のあたりでニューロン間でのコミュニケーションが中断されることが原因だと言われています。

 

また、衝撃時(直後)ニューロンが物理的な力によって形が変えられることで、ニューロンの細胞膜内外のイオン(Na+, K+ など)のバランスが崩れます。詳しくは下の動画を見てもらえたらと思いますが、ニューロン間のコミュニケーションはaction potentialの伝達によって行われます。action potentialはNa+イオンが細胞内へ移動することで引き起こされますが、衝撃後のイオンバランスの崩れは物理的な力により、細胞膜上にあるイオンチャンネルが異常に細胞内外へのイオンの流れを許してしまうために起こると言われています。

             

異常をきたしたイオンチャンネルによりaction potentialが広がり、 これが脳震盪の一時的な症状や徴候である混乱やバランス能力の低下といった問題を引き起こします。

 

また、大量のCa2+イオンの流入はミトコンドリアの働きを阻害します。ミトコンドリアは有酸素な環境で大量にATP(エネルギー)を作り出すので、ミトコンドリアの働きが阻害されるということはエネルギーを作り出す能力が著しく損なわれるということです。衝撃後、異常なaction potentialの広がりから元のresting potentialに戻るにはATP(エネルギー)を使って細胞内外のNa+とK+の濃度を戻す必要があります。ですが、ミトコンドリアのATP生成能力が低下している場合には必要なエネルギーが十分に作り出せない(=供給できない)という事態が発生します。

 

もっともっと複雑で私も理解しきれていませんが、衝撃からのイオンバランスの崩れによって連鎖的に様々な問題が発生し、脳震盪の多様な症状や徴候を引き起こすというのが大雑把な理解になるのではないでしょうか。

 

さて、上でセカンドインパクトシンドロームについて少しだけ触れましたが、ここで少しだけ説明を加えたいと思います。セカンドインパクトシンドロームとは一度脳震盪を起こした後、その症状から回復する前に再び脳へ衝撃が加わることで、脳が急激に浮腫を起こし、致死率の非常に高い危険な状態になることです。命が助かったとしても、重篤な後遺症が残ると言われています。

 

セカンドインパクトシンドロームで後遺症を煩った人の声を聞いて、それを教訓としてスポーツに関わる色々な人に学んで欲しいなと思います。

"I could have sat out for one more game" 

"I could have sat out for a season. But now I will sit out for the rest of my life"

もうひとゲーム、もうひとシーズン欠場していたら。でも今は自分の残りの人生欠場することになった。

"Just waking up everyday and knowing I can't do all the things that I want to do"

(何が一番辛いかという問いに)毎朝起きること、それから自分がしたいことが何もできないことを知っていること。

 

              

さて、話を羽生くんに戻します。演技中、明らかにいつもよりも転倒する回数が多かったように思います。転倒した時、頭をもう一度打っていたらどうなっていたでしょう。その当時に周りにいたメディカルスタッフは二度と繰り返してはいけない判断をしたのではないでしょうか。

 

              

 

これはスポーツ界全体、それから自分自身への戒めのようにも感じます。正直、衝突があってからの最初の対応にもかなり疑問を覚えます。何もチェックせずいきなり起こそうとしたり、スケートリンクというただでさえ不安定なsurfaceで(実際起こしに来た人、つるっと滑ってる...)もっと安全性を考えた搬出の仕方はなかったのだろうかとか...。ただ、こういう状況はその場にいる人にしかその場の緊張感はわからない。自分への戒めとは、こういう状況でも冷静に判断してより良い行動ができるように普段から心掛けなければ、ということです。

 

もう大分時間が経ってしまい、関心も少し薄れてしまったかもしれないけれど、この一件が日本でもっともっと脳震盪の対応を考える教材として使われてほしいと思います。